「特定看護師になって、患者さんにより近い存在になれた」高根診療所・高原文香さん

「地域の方の中にはちょっとしたケガをしたとき、『高原さん、これ見てよ』と診療所の窓から話しかけてくれる方もいるんですよ」

そう楽しそうに話してくれるのは、岐阜県・高根診療所で特定看護師として働く高原文香(たかはら・あやか)さん。

特定行為研修とは、医師免許を持っている医師にしか認められていない医療行為の一部を、研修を受けた看護師にも認める制度のこと。

少子高齢化が進み、医療の需要が高まる一方で、医療行為ができる医師が不足している――。日本の至るところで起きているこうした課題に対処するために、2017年に厚生労働省によって導入されました。

特定行為修了者は全国で約4800人、そのうち在宅で勤務している人はごくわずか。しかし、十分な医療を提供する体制が整いにくい過疎地域の看護師が研修を受けることで、医療崩壊を防ぐ糸口になるのではと期待されています。高原さんはまさに、その先駆けなのです。

高原さんはなぜ、特定行為研修を受けることになったのでしょうか。

そしてなぜ、過疎地域で看護師として働き続けているのでしょうか。

高原さんに、特定行為研修受講のきっかけや修了後の変化についてお話を伺いました。

高原文香
特定看護師。看護学校を卒業後、岐阜県高山市の中核病院に看護師として6年間勤務し、結婚を機に退職。パートタイムの看護職を経て、2018年に岐阜県高山市国民健康保険高根診療所の常勤看護師に。同年度の特定行為研修を修了し、現在は一部の医療行為を行う特定看護師として、患者の診察にあたっている。

「患者さんの近い場所にいられる医療職になりたい」

高原さんが看護師を志したのは、小学6年生のとき。母親が突然病に倒れて、入院したことがきっかけでした。

「母が病気になったのがすごく残念で……自分に医療の知識があれば、入院や手術にならずに済んだんじゃないかなと思ったんです。当時はまだ、保健師や助産師といった職業は知らなかったので、なんとなく『看護師』を思い浮かべましたが、看護師って医療職の中でも患者さんに一番近い場所にいられる仕事ですよね。そう考えると、看護師を選んでよかったなと今でも思います」

高校卒業後も想いが変わることはなく、看護学校に進学。卒業後は、地元の中核病院に就職します。

同じ病院で6年ほど続けたのち退職。結婚と同時に勤めていた病院から車で40分ほどの朝日町に移り住むことになりました。利便性は下がったものの、もともと生まれ育った地域と風土が似ていたこともあり、「『大変なところに来ちゃったな』という感覚は全くなかった」と話します。

「むしろ、いいところに来たな。こういう場所で子育てができたらいいかもしれないなと感じましたね」

結婚後は3人の子どもに恵まれ、介護の現場で働きながらも子育てを生活の中心に据えていたという高原さん。しばらくは看護の仕事から離れていましたが、「パートタイムなら、小さい子どもがいても何とか続けられるかもしれない」と、朝日診療所で訪問看護の仕事を始めます。その中で、高山市の正職員として看護師の求人募集があることを知り、応募してみることに。無事に内定したものの、当時は「このまま看護師を続けていて大丈夫かな」という不安も大きかったと話します。

「看護師の仕事を一度離れてからブランクがあり、知識も技術も十分にない状態で大丈夫かなと、不安を感じていたんですね。そんなときに、2018年4月から勤務することになっていた診療所の上司に当たる方から『特定行為研修を受けてみませんか』というお誘いをいただいたんです」

高原さんが受講した当時のカリキュラムでは、まず約315時間(現在は250時間)のe‐ラーニングを履修。e‐ラーニングを履修し終えて、試験に合格した人だけが区分別の学習と実習を受けられる仕組みでした。高原さんが取得したのは、全21区分のうち、「創傷管理」「輸液」「感染症」の3区分。

高原さんは当時のことをこう、振り返ります。

「新しい仕事も始めたばかりでしたし、家に帰ってから家事をして、夜遅くまで勉強する……という生活を1年ほど続けたので、正直に言えば大変でした。体力的にもかなり厳しかったですね。ただ、できることが圧倒的に増えましたし、患者さんとの関わり方もより近く深いものになったので、研修を受けてよかったなと感じています」

特定行為が支える過疎地域の医療

患者さんとの関わり方もより深いものになった――。

高原さんが話してくれた言葉の背景にあるのは、穏やかな風景ばかりではありませんでした。

高原さんが働く高根診療所がある高根町の人口は300人ほど。そのうち65歳以上の高齢者が約65%にもなる医療の需要が高い町です。平成24(2012)年までは、高山市が雇用している常勤の医師が週5日勤務していましたが、その医師が退職することになり、高根診療所と朝日診療所、久々野診療所の3つの診療所で協力して地域の医療を守っていこうとする「センター化構想」が始まりました。

しかし、生きるうえで不可欠な医療体制の大規模な変更に、地域住民の中には戸惑いや不安を露わにする人もいたといいます。

「常駐のお医者さんがいなくなったときは、住民の方からもやはり反発がありましたよ。市に対してだけではなく、高根診療所にも『今日はやっていないのか』とお叱りをいただくこともありました。でも、私たちもそうした地域の方の不安が理解できるからこそ、何とかしたいという想いで一生懸命にやってきたんですよね。そうした想いが伝わったのか、徐々に受け入れてもらえるようになってきたと感じています」

現在、高根診療所を受診する人のほとんどが、75歳以上の後期高齢者で、慢性疾患を持った方。高血圧や心疾患の方、膝や腰の痛みを訴える方など、多領域にわたる症状を持った方を医師1名、看護師2名体制で診療し、地域の医療を支えています。

「地域医療の医師不足の問題を少しでも解消し、地域の皆さんに医療をできるだけ行き届かせたい」

高原さんが特定行為研修の受講を勧められた背景には、医療者たちの想いがあったのです。

「傷のことは高原さんに」が地域に浸透

高原さんが取得した特定行為研修の3つの区分の中で、最も使うことが多いのは、傷を治癒しやすくする環境を整える創傷管理だといいます。

「お医者さんの中には傷を診ることを専門としていない方もいらっしゃるので、私が傷を見れるようになれば、お医者さんが不在のときでも私が緊急性を確認できるようになりますし、患者さんの待ち時間も減りますよね。それから、ほかの看護師に傷の見方をレクチャーできるので、ほかの看護師のスキルアップにもつながります」

また、医師よりも患者さんに近い関係にある看護師という立場でありながら、傷の処置ができる点において「話しやすい」と感じる人も少なくないのだとか。

「高根診療所の所長が、地域の方に向けた健康教室を開催したときに、私も傷の処置についての話をさせていただいたことがありました。そのことがきっかけで、地域の方に『傷のことは高原さんに』という認識を持っていただけるようになりました。処置をしながら個人的なお話を聞かせてくださる方がいたり、診療所の窓から覗いて『高原さん、ちょっとこの傷を見て』と声をかけてくださる方がいたり(笑)。気軽に頼ってくださる存在になれているのはうれしいですね」

特定行為を実施すると、患者さんの待ち時間の短縮や、診察の心理的ハードルが下がることといった患者へのメリットがある一方で、看護師の負担は大きくなります。

「高根診療所のように、看護師の数が限られている場合はとくに、仕事量が増えてしまうことはデメリットかもしれません。ただ、私個人の感覚で言えば、患者さんに対してできることが増える喜びのほうが大きいですね」

家にいるときの患者さんは「その人そのもの」

高原さんは現在、高根診療所での勤務のほか、患者さんの家を訪問して処置を行う訪問看護を行っています。定期的な巡回のほか、緊急時にも対応できる体制を整備。しかし、医師が高山市の市街地に住んでいるため、高原さんが患者さんの家にいち早く駆けつけることも少なくないのだとか。

高原さんはこの訪問看護を「『その人そのもの』が現れる医療」と呼び、患者さんの「その人らしさ」を大切に、誠意を持って向き合っています。

「患者さんは、家にいるときが一番『その人そのもの』に近いんですよ。診療所や病院で医療を受けるときは、医療従事者のいろいろな指示や指導を受けながら療養生活をするわけですから、やっぱりどうしてもよそゆきの顔になってしまう。

でも、家では自分が主役なので、お医者さんがいても、看護師がいても、自分が主役でいられます。病気のはじまりも、その人の生活や暮らしぶりから始まっている部分もありますから、そうした暮らしも含めて『看る』ことができるという意味でも、希望する患者さんにはできるだけ在宅で医療を受けてほしいですね」

しかし、在宅医療を受ける方が、一人での食事や排泄ができない場合、頻回な訪問が必要になることもあります。しかし、僻地では介護や医療の資源が少なく、生活の支援が必要な場合はどうしてもご家族の手を借りなければいけないことも。

高原さんをはじめとした診療所の医療者たちは「家に帰りたい」という本人の希望をできるだけ叶えられるような努力をしています。

「遠方のご家族に相談する中で、やりとりが長引くと『大変だから施設に……』という流れにもなってしまいかねません。その場合は『周囲で何とかサポートできるから、ここの部分だけ助けてください』と、ご相談するようにしています。それから、頻繁な通院が必要になり、交通費が嵩んでしまう場合は、近所の人が診療所に送ってくれたり、見守りしてくれたりと、地域の互助を頼りにさせてもらうこともありますね」

また、高原さんが取得した特定行為研修の「創傷管理」も、家に帰りたい患者さんを支えていました。

「傷が原因で家に帰れないということは、基本的にはありません。ただ、傷の処置は何度も往診が必要になりますよね。ですから、交通手段がない人や、交通費を支払えるだけの余裕がない人にとっては、訪問看護の時間で傷の処置をしてもらえると、施設に入所しなくて済むんです」

「患者さんを家族のように思っているから、心配せずにはいられない」

特定行為研修を受講後、修士過程を終えて、看護師としての知識と技術向上を目指している高原さん。今後は、現場の看護師の教育と後世の確保などに力を入れていきたいと話します。

「特定行為研修の修了者の役割は、特定行為をすることだけだと思われがちですが、実は役割はほかにもあると私は考えています。たとえば、ほかの看護師へのレクチャーを通じて地域医療のレベルを底上げをしたり、地域の皆さんに向けた健康教室を開催して健康に関する知識を広めたり。

研修に来てくれた看護師がいつか高根診療所に戻ってきてくれるといいなと思いながら、後世を育てる気持ちで接しています」

自分の業務だけではなく、ほかの看護師の育成にも目を向ける。特定行為研修を受けたことで、そうした視野の広がりはもちろん、診察時の患者さんへの向き合い方にも変化がありました。

「特定研修を受ける前のことを思い返すと、お医者さんからの指示待ちでした。でも、自分が傷の処置をはじめとした診察を行うようになると、どの処置をするのが適切かを自分自身で考えなければなりませんし、お医者さんに引継ぎする際に、患部の状態とそれに対する自分の見立てまで伝える必要があります。これも特定研修を修了したからこその変化と言えるかもしれません」

特定行為研修を修了した後に、とくに印象的に残っているエピソードを聞いた際、「もっとうまくできればよかった」という反省を真っ先に挙げてくれた高原さん。

地域の人々と近い距離で関わる体制の特性上、「正直なところ、これは仕事の範囲ではないんじゃないかな」と思うことも少なくないそうですが、「自分自身が患者さんを家族のように思っているから心配せずにはいられないんですよね」と微笑んでいました。

患者さんの近い場所にいられる医療者でありたい――。

子どもの頃から願い続けた夢は、想像した以上に叶っているのかもしれません。

 

シェア