「教育と医療、そして在宅の架け橋に」かがやきキャンプ施設長・藪本保さんの夢と挑戦

「教育現場と医療の橋渡しがしたくて、理学療法士になったんです」

そう語るのは、藪本保(やぶもとたもつ)さん。岐阜県岐阜市に隣接した岐南町にある、医療型短期入所施設「かがやきキャンプ」の施設長を務めながら、理学療法士として、自身も子どもたちに関わっています。

かがやきキャンプとは、医療的ケア児や重症心身障害がある0〜6歳の未就学児を対象にした医療型短期入所施設。どこでも、誰とでも「食べる」「寝る」「遊ぶ」ができる力を伸ばすことを目指し、看護師、理学療法士、言語聴覚士などの医療専門家たちが子どもたちのトライをサポートしています。

プールでのデジタルアートを使ったリハビリや、お泊り会をしたり、管理栄養士と一緒に料理をつくったりといった子どもの挑戦を応援する「TRYプロジェクト」など、一目見て画期的だとわかる取り組みですが、藪本さんはもともと体育教師。そこから理学療法士へと転身し、大学院での研究などを経て、現在の職に至ります。

体育教師からキャリアをスタートさせた藪本さんが、なぜ理学療法士として、小児の医療型短期入所施設を立ち上げるに至ったのでしょうか。その道のりには、手探りをしながらよりよい理想へと進み続けようとする藪本さんの情熱がありました。

藪本保
理学療法士/健康運動指導士。理学療法士免許取得後、障がい児に対する小児理学療法分野で活動。障がい児・障がい者スポーツに興味を持ち、障がい児・障がい者水泳に関わる。一方で、脳性麻痺児に対する運動療法に関する研究や知的障がい児に対する体力評価に関する研究を行う。現在、医療法人かがやきにて、重症心身障がい児・医療的ケア児のための医療型短期入所施設及びメディカルフィットネス事業に関わっている。

「医療と現場の橋渡しがしたい」体育教師から理学療法士へ

現在は、理学療法士(PT)・健康運動指導士という肩書きを持っている藪本さんですが、大学を卒業して最初に就いた仕事は、小学校の体育の先生でした。「小さい頃から教師という仕事に憧れていて、身体を動かすのが好きだった」という当時の藪本さんにとって、体育教師になる道はとても自然なものでした。

大学の教育学部を卒業して最初に赴任したのは、岐阜の一村一校の小さな小学校。赴任して3年目には、担任をしていた6年生を中学校へと送り出します。藪本さんの人生を変える転機が訪れたのは、そんな矢先のことでした。

「高校時代に始めたラグビーを社会人になってからも続けていたのですが、春休み中のラグビーの試合で膝の靭帯を痛めてしまって、新学期早々、3カ月にわたって休職しなければいけなくなりました。そこからリハビリ生活が始まることになるんですけれども、同じ場所で歩行訓練をする脳性麻痺の男の子を見かけて、『あ、自分がやりたかったことって、もしかしてこういうことかも』と思ったんです」

体育教師として子どもたちと関わることにやりがいを感じながらも、教育的な目標と自分自身のモチベーションのギャップに悩んでいたという藪本さん。そんな中、目の当たりにした脳性麻痺の男の子がリハビリをする姿に、心を動かされたのです。

「子どもの病気やケガについて知り、子どもを支えられるような体育教師になりたい」

その想いは日に日に強まるものの、これまでの職を辞め、ゼロからのスタートを切るのは勇気がいるもの。自分は本当に理学療法士になりたいのか、転職してやっていけるのか――。自分の想いを確かめるために、小学校でさらに2年働いた後、中学校でも2年働くことを決めた藪本さん。赴任先の中学校で、下肢に障害のある生徒と出会うことになりました。

「担任をしたクラスに、足に障害があって松葉杖をついている男の子がいたんですね。その子は体育を全くやらなくて、運動会も参加しようとしない。当時は僕も若かったので、そうした姿勢が後ろ向きに見えて『一緒に頑張ろうよ』と情熱だけで関わってしまっていました。ただ、そのときに子どもたちの病気や心に対しての知識が圧倒的に足りないことを痛感しまして、理学療法士として『医療と現場の橋渡しがしたい』と強く思うようになったんです」

理学療法士と研究者の二足のわらじで

7年間働いた教師の職を離れ、理学療法士になるべく、専門学校に通い始めた藪本さん。しかし、年齢やキャリアを重ねてからの異業種転職は、そう楽な道のりではありませんでした。

「頑張っても、頑張っても、前に進まないような3年間でしたね。かつての同僚が教師としてのキャリアを積み重ねていく中、自分は職や車など、持っているものをすべて手放して、この先どうなるのかわからない未来に懸けているわけですから。教員仲間とも一時は疎遠になりました。『これでよかったのかな』なんて思いながら、1日でも早く社会に復帰したいと思っていましたね」

その後、専門学校での3年間の学びを経て、国家試験に合格。「小児のリハビリに携わりたい」というビジョンが変わらず、「これ以上遠回りしたくない」という想いから、小児の療育センターに一直線で飛び込みました。

また、就職と同時に、大学院にも進学します。それは経験年数が重視される理学療法士の世界で、「脳性麻痺という障害について知識をつけて、子どもたちに自信を持って対応できるようになりたい」という想いからでした。慣れない仕事が終わってから授業に出たり、論文を書いたりと多忙な日々を送ります。

当時は小児のリハビリテーションの領域で、論文を書いている人はほとんどいなかった時代。藪本さんの熱意を買った勤務先の医師が学会での発表機会をくれ、仕事の合間に厳しい論文指導をしてくれたこともあり、現場での仕事と研究の両方にますます力を注いでいきました。

小児の療育センターに就職してから、大学院での修士課程、博士課程を修了するまでの期間は7年間。ひたむきに走り続けたその期間は、教員時代の年数を超えていました。

理想をひとつずつかたちにした、かがやきキャンプ

現場と研究に全力を尽くした7年間で、脳性麻痺について自分なりのモノサシが確立できたと話す藪本さん。大学院の博士課程を修了するという一つの節目を迎えたとき、「学校現場と医療をつなぎたい」という、かつての想いが再び大きくなっていきます。

「療育センターに勤めていたときに特別支援学級の先生方との交流もあったのですが、『学生のときにもう少し勉強できるチャンスがあれば良かった』とお話される方が少なくなかったんです。実際に、理学療法士として関われる子どもたちの数には限りがありますし、僕が大学教員になって、子どもたちに接する先生を育てられないかと考えました」

そう思い立った藪本さんは、7年間にわたる論文実績を携え、大学教員になるべく全国の大学にアプローチし、最終的に名古屋学院大学の理学療法学科にて教鞭を取ることになりました。

そんな藪本さんにとって大きな転機となったのは、のちにともにかがやきキャンプを立ち上げることになる市橋亮一先生との出会いでした。

「療育センター時代から交流のあった方から、施設設計に関する意見交換の場に呼ばれたとき、たまたま居合わせたのが市橋先生でした。その後、市橋先生から『小児の施設を立ち上げたいと思っているんだけど、力を貸してくれませんか』とお声掛けいただき、いろいろな話をする中で、現在のかがやきキャンプの原型ができあがっていったかたちです。『世の中にない挑戦的なものをつくろう』という主旨のお話で、正直、僕には荷が重すぎるとも思ったんですが、アイディアをかたちにするのが上手な方々が周りにたくさんいて、施設の完成を現実的に捉えやすくなりました」

また、自分自身の残りのキャリアとして、大学教員として学生を育てるか、臨床に戻って地元で子どもたちのために尽くすべきかと考えたときに、その答えはさらにはっきりしたものになりました。

「名古屋で大学教員を始めたタイミングで、岐阜の子どもたちの親御さんたちから『先生、いつ戻ってくるの?』というお声をいただくことが多くて。小児のリハビリは0歳で担当した子を20歳になっても関わることが珍しくなく、携わる期間も長いんです。そうした子たちを置いてきてしまったという後ろめたい気持ちもありました。それから、施設運営の傍ら、岐阜の特別支援学級の授業支援に行けば、教員を辞めた当時、心配をかけた地元の学校現場に恩返しができるのではないかと思ったことも大きかったように思います。岐阜に戻って、かがやきキャンプの立ち上げに、残りの人生を懸けることを決めました」

子どもと家族のエンパワメントを、専門家が支えることを目指して

子どものアクションに合わせてデジタルアートが動く「デジリハ」を使ったリハビリをはじめ、ひと目見るだけで画期的で楽しそうな雰囲気が伝わってくるかがやきキャンプのホームページ。

かがやきキャンプが「これまでにない、挑戦的な施設」になっている理由として、藪本さんは「短期入所施設でありながら、子どもの発達・学びのための環境が整っていること」を挙げています。

子ども向けの療育施設は「発達支援のための保育園」と「放課後等デイサービス」の大きく2つに分かれますが、これらはどちらも子どもの発達・学びのためのもの。一方で、医療型短期入所施設は、あくまで障害のある子どもを持つ家族のレスパイト(休息)のためのものという位置づけでした。

短期入所施設でありながら、配置が義務付けられていない管理栄養士や言語聴覚士などの医療専門家を配置し、子どもの発達・学びのための環境を整える。このような環境づくりをした背景について、藪本さんはこのように話します。

「子どものころって、1日がすごく長く感じられませんでしたか? そんな長い1日を、ただ預けられるだけで終えるのはもったいない。お母さんと離れて過ごす1日は子どもにとっても貴重ですから、どうせなら楽しく、どこでも、誰とでも『食べる』『寝る』『遊ぶ』ができるような力を育んでほしいという想いから短期入所施設にし、宿泊施設も設けました」

また、かがやきキャンプは、子どもだけではなく、その家族にも目を向けています。

「多くの家族は、子どもが障害を持って生まれてくることを想定していません。そうした家族がいきなりレスパイトを使うにはハードルが高いのではないかと考えました。かといって、病院とは医療設備がまったく異なる在宅でのケアを続けていくのも大変ですよね。そういった意味で、かがやきキャンプが在宅生活をまずしっかりと支える。そのうえで、子どもを預けることもできる。障害のある子も自立する力をつけることはできますが、ほかの子どもに比べて時間がかかります。だからこそ、早い段階から子どもを預けてもらえる施設になることが大切なんじゃないかなと思いました」

ただし、かがやきキャンプは、親御さんの負担を軽くするための施設ではありません。かがやきキャンプが大切にしている考え方に、「Children&Family Empowerment(生きていくやわらかさのレジリエンス)」があります。これは、子どもだけではなく、家族の力を高めることを目的としたものです。

「家族を支えることで子どもたちに多くのチャンスと体験を!」。そうした考えから、家族が力をつけるお手伝いをすることも心がけているといいます。

「たとえば、僕たちは基本的にご飯を出さないし、送迎もしないし、子どもをお風呂にも入れません。そうした親御さんにとって負担になることを、あえてしないようにしているんです。保護者のニーズに応えるほうが経営的にはうまくいきますが、そこを頑張ってもらうことで、中長期的に家族の力をつけ、支えているという意識でいます」

誰とでも「食べる」「寝る」「遊ぶ」を通じて、自分の人生を生きてほしい

これまでにない短期入所施設である、かがやきキャンプ。実際に利用したお子さんや親御さんには、どのような変化があったのでしょうか。

施設を利用した子どもたちの変化について、藪本さんは「『食べる』『寝る』『遊ぶ』の経験を積むことで、それぞれのかたちで、しかし確実に成長していると感じます」と話します。

「栄養をチューブで摂っている経鼻移管のお子さんがお二人入所されたのですが、最初はお口から水分や食事を摂ることを怖がっていたのに、今では管を外して自分で食事ができるようになり、体重もどんどん増えています。それから、芝生の上に置かれただけで激しく泣いていたような子が、足の裏で芝生の感覚を感じて、楽しそうに駆け回っているのを見ると涙が出そうになるくらいうれしくなりますね。そうした質的な変化が見られない場合にも、『小さいときはわからなかったけど、この子ってお手伝いがやりたかったんだな』『こんなことを僕らに伝えたかったんだな』といった小さな気づきも含めると、ほんとうにたくさんの変化が起きているんだなと思います」

また、お子さんを預けていたご家族の変化を目の当たりにすることも少なくないといいます。

「先日、亡くなられたお子さんが1名いらっしゃったのですが、亡くなった直後にもかかわらず、そのごきょうだいが『かがやきキャンプのみんなと遊びたい』とイベントへの参加を強く希望してくれたことがありました。そのときにご家族がキャンプへの信頼を話してくださり、お子さんを亡くしてつらいながらも、ご家族の絆が以前よりも強くなっているように見えて、その姿に僕たちも勇気づけられました。僕たちが目指していた、家族のエンパワメントに少しでも寄与できていたのだとしたら、すごくうれしいなと思っております」

前例のない医療型短期入所施設を運営し、強いメッセージを打ち出していくことについて批判も少なくないと言います。それでも、そのスタンスを貫こうとする決意を、藪本さんはこんな風に言葉にしてくれました。

「かがやきキャンプは、僕自身の人生の集大成として『好きなことをやってもいいよ』と言われたときに何をやりたいかを詰め込んだ挑戦です。この挑戦が時代に合わなかったというフェーズが訪れるかもしれませんが、強いメッセージを打ち出し続けることで、『こんな変なことを言っている奴がいた』という痕跡を残すことはできるんじゃないかなと腹を括ってやっています。子どもたちには本当の意味で自分の人生を楽しんでもらいたいですし、お母さんたちに『この子を産んでよかった』と言ってもらえるような働き方を意識していきたいですね」

医療と教育現場の橋渡しをしたい――。

そんな想いから体育教師を辞め、理学療法士の道に足を踏み入れた藪本さん。現在はかがやきキャンプの施設長として、家と社会とを結ぶ橋渡しをしていると言えるのかもしれません。

藪本さんが架けてきた橋が、生活になくてはならない当たり前のインフラになる日も、そう遠くない気がします。

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