「皆に反対された。それでも僕が流山にみのり訪問看護ステーションを作った理由」天野博さんの覚悟

千葉県流山市で暮らす訪問看護師たちが、地域で看護が必要な人々を支え、自宅で生活できるようにする――。まさに“地産地消”ともいえる訪問看護・在宅医療サービスを提供する「みのり訪問看護ステーション(以下、みのり)」。

一般的に、政令指定都市くらい人口が多い都市でないと訪問看護ステーションの運営は難しいといわれます。年間1200を超える事業所が誕生しても、700〜800は経営がうまくいかず閉鎖する……なんとも厳しい現実があります。

天野博さん/みのり訪問看護ステーション 所長(看護師)
流山に育ち、将来はこの地域で仕事がしたいと思い2015年2月に会社設立。
「訪問看護という仕事はみなさんにはなじみがないかもしれません。老い、病気、障がい、生きていく上で避けられないこれらの時こそ、みなさんの人生を生きていただきたい。このような思いがみなさんの生活の場に届くように訪問看護という仕事をさせていただいています。病院・施設以外にも自宅で療養できるという選択があたりまえにできる社会を創っていくことがわたしたちのミッションです。」

地元、流山市に訪問看護ステーションを作りたい

「人口密度が1万人を超える23区と比べて、流山市は5000人ほどです。規模がまったく違います。当時、妻や相談に行った人全員から、『流山に事業所を作るのはやめたほうがいい』と反対されましたね」

そう語るのは、2015年2月に会社を設立した、みのりの所長で看護師の天野博さん。流山市では若年層を中心に都心回帰の傾向もあり、流山おおたかの森近辺など市の中心部には比較的若いファミリー世帯が集まっているのに対し、北部では高齢化率が30%を超えています。

「流山には、東葛病院と流山中央病院という、ステーションを所有する大きな医療法人がふたつあります。そんな競合2カ所の間に開所するのも、周囲から『大丈夫? うまくいくの?』と心配される要因だったと思います」

“市場”という観点で考えると、流山で開所するのはリスクが高いといえます。それでも天野さんには流山に事業所を作る理由がありました。訪問看護やステーション立ち上げ前後のこと、今後目指すことなどを聞いてきました。

がんセンターで亡くなった父への思い

流山で生まれ育ち、今も地域で家族と暮らす天野さん。看護師になろうと決めたのは、地元のがんセンターから自宅へ帰ることができないまま亡くなった父への思いがありました。

1998年、ちょうど20年前です。当時、在宅医療を受けている人は少数派で、家に帰りたくても帰れない人はたくさんいました。天野さんの父もそのひとりだったのです。

1992年からは、在宅の寝たきりの高齢者に対し、老人訪問看護ステーションから訪問看護が実施されるようになっていましたが、対象はあくまで限られていました。2000年になると状況は変わります。

介護保険法の実施に伴って、在宅の要支援者・要介護者等に認定された人も、訪問看護の提供となったのです。対象が高齢者だけではなくなった、ということです。

18歳、ちょうど自身のアイデンティティが確立される時期でした。天野さんはそのときから在宅医療を担う看護師を目指し、高校卒業後は地元の専門学校へ進学します。

松戸市立病院の集中治療室でキャリアをスタートし、松戸市にある宅老所ひぐらしの家(現 宅老所・デイサービス ひぐらしのいえ)、あおぞら診療所、東京都北区にある梶原診療所で、看護師として約8年の経験を積みました。

「それまでも流山市に訪問看護ステーションはありました。でも、父が帰れなかった地域ということもあり、『自分自身が求めるステーションを自ら作りたい』という思いは、ずっと持ち続けていたんです」

病院から自宅に帰れる人が増えて嬉しい

2015年2月に天野さん含め、5人のメンバーで船を漕ぎ始めたみのり。開所から6カ月ほど、利用者を集めるのに苦戦していました。

ウェブサイトを作ったり、医療機関へ出向いて話をしたりと、利用者獲得に奔走しながらも、はじめのうちは開店休業状態だったといいます。

「プライベートでは妻が娘を妊娠していたときで、日に日に大きくなるお腹を見て、彼女自身も先行きが不安だったと思います。僕は僕で、閉所したほうがいいのかも、と弱気になったこともありました」

しかし、8月になると状況が一変します。病院から紹介されてやってくる患者さんが、どんどん増えていったのです。

病院側も自分たちの大事な患者さんをみのりに預けるにあたって、みのりがどういう施設なのか、所長の天野さんや他の訪問看護師たちがどんな人なのか、きちんと知るために見きわめようとしていたのでした。

「病院の窓口となる方やがんセンターの相談員さんなど、地域の事情を昔から知る人たちから、『みのりさんができて良かった』『みのりさんができたから、患者さんを自宅に帰せるようになった』と言っていただくと本当に嬉しいです。

みのりが地域に足りていなかった“機能”を担うようになったことで、新たな価値や文化を提供できている、という実感があります」

経営者として取り組む、働きやすい環境づくり

さらに翌年1月、近隣のステーションが閉所することになり、新たに患者さんを受け入れ、リハビリチームも合流。人材も提供できるサービスも増え、現在では看護師9人、セラピスト6人、ケアマネジャー1人、事務1人の17人体制で運営しています。

厚生労働省が2015年に発表した資料によると、訪問看護ステーション1事業所あたりの従事者数(常勤換算)は6.5人で、うち看護職員は4.8人というデータがあります。こちらと比較しても、みのりはかなりの大所帯。

ここまで大人数を抱えて、安定した事業所運営をする秘訣を尋ねると、「経営は8割方つらいことばかりですし(笑)、経営者としてできることなんて限られていますが」と前置きして、天野さんはこれまで取り組んできたこと、これから挑戦しようとしていることを話してくれました。

短時間正職員制度

「できるだけ働きやすい環境にしたいので、良いと思える施策は積極的に行っています。たとえば、週20時間以上の時短勤務でも、正社員として社会保険に加入できる『短時間正職員制度』ができたときは、すぐに取り入れました」

早期退社制度

現在、未就学児を持つスタッフ5人が、同制度のもとで働いています。さらにユニークなのは、終業時刻の45分前に帰宅しても良い「早期退社制度」。

たとえば、子どもが急に熱を出したから帰りたい、といったときに、有給を使うことなく早い時間帯に帰ることができるのです。通常17時が終業時刻なので、16時15分には退社できます。

360度評価制度

「今後、新たに取り入れようとしているのが『360度評価制度』です。労働環境において透明性と公平性はとても大切。その価値観自体はスタッフに共感されていますが、今のところ僕以外、賛同者がいないんですよね(笑)。

スタッフの数が増えてくると、皆が幸せな方法ってなんだろう? と考える機会が増えます。僕が信念を持って良いと思える制度であれば、皆に理解してもらえるまで説明したいですし、いつかは取り入れたいと考えています」

患者、家族と同じ目標に向かっていく喜びは訪問看護ならでは

経営者でありながら、現在も月60件ほど現場へ出向く看護師。ふたつの顔を持つ天野さんは、訪問看護を通じて地域に貢献する喜びを感じています。

「患者さんの自宅へ伺ってケアを提供するときは、患者さんの状態をより良くしていく場合と、看取りへ向かっていく場合の2パターンあります。患者さん、ご家族と共通の目標を持って、いずれかの方向へ進んでいくわけですが、そこに一体感を覚えるんですよね。

これまでの人生について聞いたり、何度も対話したりして、信頼していただきながら、一緒に成果を喜べる。これは病院だと難しくて、在宅医療だからこそできることだと思います」

最後の一言を少しだけ強めに発した天野さん。その言葉には地元で事業所を運営することへの誇りと覚悟が感じられるようでした。

「亡き父と同じ年齢、同じ肺がんだった男性患者さんを看取ったときは、自宅でお別れすることができて良かったと思いました。その男性に限らず、看取った後、奥さまや旦那さまから『私のときもお願いね』と言っていただくと、信頼してくださっているんだな、ありがたいなと思います」

みのりが掲げるミッション「比較的大きな安心のある社会を作ろう」を軸に、そこからズレない範囲で安心を提供していきたい、と話す天野さん。訪問看護とリハビリ以外に新たな“機能”が加わる未来は、そう遠くないのかもしれません。

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