「精神科病院に20〜30年入院するなんて変。地域に戻って生活してほしい」精神科訪問看護KAZOCと渡邊乾さんの挑戦

精神疾患を持つ人たちが、入院中心の暮らしを送るのではなく、地域のなかで生活するのを支援する「訪問看護ステーションKAZOC(かぞっく)」。そこには「新しい家族の形になれるように」という願いが込められています。代表者で作業療法士/精神保健福祉の渡邊乾(わたなべつよし)さんに、訪問看護やKAZOC立ち上げ前後のこと、今後目指すことなどを聞いてきました。

 

渡邊乾/作業療法士。
都内の精神科病院に就職し、日本の精神科医療の現実を知る。病院とすったもんだし窓際族として過ごす。浦河べてるの家、イタリア・トリエステを視て地域支援を志す。福島県相双地区の復興プロジェクトに参加し、精神科病院を出る事を決意。2013年に精神科訪問看護ステーションKAZOC(かぞっく)を開設。同時にホームレス支援をするハウジングファースト東京プロジェクトに参加。ホームレス状態を経験した人の中で、精神疾患を持った人たちの在宅生活を維持継続する役割を担っている。現在、オープンダイアローグ押し。剣道5段。

精神科の作業療法士の道へ。迷いはなかった

高校卒業後、渡邊さんは作業療法士の国家資格を取得するために、専門学校へ進学しました。両親ともに作業療法士で、母の勤め先である近所の精神科病院には、子どものころから出入りしていたため、作業療法士がどんな仕事をするのか、なんとなくわかっていたといいます。

「大きな志があったわけではないんです。レクリエーション(以下、レク)担当として、患者さんがいろいろな作業をするのをお手伝いし、心身の維持や回復、精神面での安定を目指すのが、精神科での作業療法士の仕事です。

たとえば春はひな祭りや花見、夏はかき氷を作ったり、盆踊りをしたり……と、季節を感じるレクを実施します。国家資格が必要で、安定した職業ですし、そんなに大変ではないと思っていたんですね。そういう理由で進路を決めました」

就職先は家から自転車で通える地元の精神科病院。新米作業療法士として働き始めてすぐ、渡邊さんは大きなショックを受けます。今まで知らなかった精神科病院内の「現実」を目の当たりにしたのです。

退院につながらないレクリエーションに疑問

最初に配属された慢性期女子閉鎖病棟では、患者の平均在院年数が20年にも及ぶなど、長期入院が常態化していること。退院して地域に戻るのを目指して行うはずの作業療法が、患者が「病棟内で生活を維持するため」に行われていること――。

「10年前は平均在院年数が10年だった。先輩は当時そう話していました。僕が入職したときには20年になっていて、その10年後には30年になるのかと考えると、僕がここで担当する作業療法には、なんの意味があるんだろうと絶望したし、意味がわからなかった。閉鎖病棟内で毎日を繰り返す……それを成立させるための作業療法やレクってなんなんだろう、って」

渡邊さんは「病院の考え方を理解できなくて、全然なじめませんでした」と苦笑します。その環境に適応している先輩たちは、5〜10年勤続する中堅〜ベテランばかり。彼らのように自らの仕事を「仕事だから」と受け入れて、淡々と務めを果たそうとしたものの、1年で限界を感じました。自分の心に嘘をつけなかったのです。

悶々とした感情を抱えながらも勤務を続けていた渡邊さんは、入所2年目の新人職員の身でありながら、労働組合を立ち上げるという大胆な行動に出ます。しかも、誰に相談することもなく、たったひとりで。

国内外の精神科医療のリアルを知って

病院側のレク・リハビリ方針への疑問や常態化したサービス残業の改善、本来守られるべき職員の権利などを訴え、経営トップに要求書を提出。「若気の至りと正義感でやってしまったこと。その後、組織のなかで立場的にどうなるか、考えも及びませんでした」と振り返ります。

行動を起こすとすぐに上司や副院長らから呼び出され、事情があって稼働していない「精神科デイケア」へ異動を言い渡された渡邊さん。その後デイケアは再開されましたが、出退勤管理すらされなくなり、さらに2年後には「外来専属」の作業療法士に任命されることに。

「たぶん日本の精神科病院に勤める作業療法士で外来専属になったのは、僕が初めてなんじゃないですかね。当時、病棟への立ち入りも禁じられるようになっていましたし……」。渡邊さんはどこか遠い目をして、思い通りにいかなかった過去を振り返ります。

「中庭に設けられたテントが僕の職場というか、居場所でした。つまりは窓際族ですよね。労働組合を作ったときから、学会や勉強会、労働組合系の集会などに積極的に出向いていて、目線がますます“外”に向かうようになっていました。日本の精神科医療の現状や世界の状況などを教えてくれる専門家や同業者など、知り合いが増えたり、つながりができたりして、それが僕の支えになっていましたね」

作業療法士の自分が“外”に出てできること

病院外でのネットワークを構築するなかで、渡邊さんは「今自分がすべきこと」を見つめ直すようになります。病院内で自分なりの正義を主張して孤軍奮闘し続けるのか、それとも日本の精神医療・福祉における真のニーズに応える活動を仲間と始めるのか――。

「入職年目からずっと気になっていたのが、長期入院が前提という精神科での現実でした。国際的に見てもその状況はおかしく、さらに厚生労働省の方針も長期入院の在り方を変える方向へ徐々に進んでいこうとしています」

長年精神科で生活をしていた人が退院するとき、地域に「受け皿」が必要になりますが、国際社会と比較しても圧倒的に足りないことは明らかでした。ないなら作ればいい、ともわかっている。でも、どういう受け皿があるといいのか――。渡邊さんは知り合った人々と情報交換し、独立準備を進めていきました。

「医療機関への通所、グループホームなどへの入居、訪問看護など、いろいろな“資源”があるなかで、作業療法士の資格を使ってできることは何か調べて考えました。そこで見出したのが、こちらから患者さんの側へ出向く訪問看護だったんです。アメリカやイギリス、イタリアなど精神医療・保健が発達した先進国では『アウトリーチ』(※)を重要視していたんですね。自分たちもその発想を持とうと思いました」

※「Out(外へ)reach(手を伸ばす)」という意味。医療・福祉の分野では、患者が病院や施設から地域に出て、患者や当事者のところで活動をするために、専門職(精神科医、看護師、作業療法士など)がチームを組んで、訪問型の支援を行うことを指す。

精神障害がある人も、地域で生活してほしい

2013年、地元・練馬と池袋に立ち上げたKAZOCは、6年目を迎えた今、7人の作業療法士を抱え、総勢25人のメンバーで運営する訪問看護ステーションに成長しました。「労働組合を立ち上げた件は例外で、基本的には石橋を叩いて渡る性格」と語る渡邊さんは、事業構造を検討するのにたっぷり時間をかけ、入念に準備した上でKAZOCの船出を迎えたと語ります。

支援対象は精神障害を持って長期入院している人、医師などから「地域生活が困難」といった判断を受けた人に限定。訪問看護だけでなく、重層的な支援構造を組むと共に、住まいの支援や彼らが尊厳を持って参加できる活動の担保も行おうと決めました。

それを実現するために取り入れたのが、(1)ハウジングファースト、(2)オープンダイアローグ、(3)当事者研究の3つの方法でした。

(1)ハウジングファースト

アメリカで開発されたホームレス支援の方法です。ホームレス状態に陥る人が精神疾患を持っているケースは多く、そんな人たちの生活を再建するために生まれました。

「一般的なホームレス支援は、住まいを獲得するのがゴールと捉えられていますが、ハウジングファーストはその逆です。まず住まいを取り戻し、それを維持するために日中の活動や仕事をどうするか、訪問看護は必要か……というふうに、支援の構造を組み立てていきます」

KAZOCでは「つくろい東京ファンド」「世界の医療団」などの7団体で連携してホームレス支援を行い、炊き出しや夜回りでの医療・生活相談、日中活動、シェルター、グループホーム、訪問看護を一気通貫で提供しています。これらの実践から得られた知見をサービスの対象となる利用者に活かしているのです。

(2)オープンダイアローグ

治療ミーティングは、看護師、心理士が主体で行い、必要に応じて医師が参加します。「対話」を行うことを目的としており、参加者すべての声が大切にされます。入院や薬物療法を行うことを前提とした一般的な精神医療とは一線を画した取り組みで。

薬物療法を含む一般的な治療を受けた統合失調症の患者と比較すると、オープンダイアローグを受けた患者のうち、薬物投与を必要とした患者は全体の35%、2年後の調査で症状の再発があった患者は全体の24%になるなど、桁違いの治療回復率が国際的にも注目を集めているといいます。

(3)当事者研究

精神障害を抱えた人が、地域で主体的に生きる活動を支えることを指します。北海道浦河町で1984年に設立された、精神障害等を抱えた人々の地域活動拠点「べてるの家」での取り組みを参考にしています。

「精神障害を持つ人は保護され、守られるべき、地域社会にいると不幸だから施設に入れてあげたほうがいい、という考え方が一般的でしたが、べてるの家の取り組みが証明しているのは、彼らが地域に出ていくことで、さまざまな化学反応が生まれること。精神障害を持つ人が保護の対象ではなく、地域社会を作る主体として生きられる場所になるんです」

地元で地域住民の生活を支える喜び

今後も渡邊さんの地元練馬を拠点に、精神科における長期入院解消と入院中心の精神科医療を地域中心の医療にシフトしていくことを目指し、活動を続けていくKAZOC。さまざまな事業所や団体と連携をとりながら、精神科専門の訪問看護ステーションとして、地域の資源として役立っていきたいと語ります。

「僕自身がプレイヤーとして現場へ訪問看護に行く機会は減りました。それでも自分が暮らす地域の住民を支援することで、なんらかの形で役に立てていること、彼らとつながりを持てていることに、自分自身が癒されているのを感じているんです」長きに渡って長期入院が「当たり前のこと」として捉えられてきた精神科医療。KAZOCの挑戦が常識や前提に揺さぶりをかけ、精神障害を持つ人が地域に戻って普通に生活するのが珍しいことではなくなると、世界はもっと多様でやさしいものになるのではないでしょうか。訪問看護という方法ならそれを実現できる、と私たちは信じています。

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