「宅老所を作ったのは、“時間割”のない関係でいたかったから」いしいさん家 石井英寿さん

託児所と聞くと、大半の人がどのような施設かぱっと思い浮かぶはず。では「宅老所」はどんな施設かわかりますか? 託児所の「児」を「老」に変えると、イメージしやすいかもしれません。


<石井英寿(いしい ひでかず)>
宅老所いしいさん家代表/介護福祉士/ケアマネージャー
昭和50年3月19日生まれ 淑徳大学社会学部社会福祉学科卒
大学卒業後、介護老人保健施設に8年間勤務。認知症専門棟で、認知症の方達と
多くの関わりを持つ。平成17年8月に退職。同年10月、有限会社オールフォアワンを設立。

謎めいた施設「宅老所」に行ってみた

宅老所は、認知症などを抱えている介護が必要な高齢者向けに、デイサービスを中心に提供する小規模な介護事業所です。大きな特徴としては、特別養護施設等とは異なり、一般の民家などを利用していることから、利用者が自宅に近い環境で過ごせるメリットがあること。

でも、馴染みがないし、あまり聞き慣れない名称の施設。百聞は一見に如かず、ということで、今回とある宅老所を訪問してきました。京成本線実籾(みもみ)駅から徒歩20分ほどのところにある「宅老所 みもみのいしいさん家」におじゃますると、なんともにぎやか。

もちろん高齢の方が多いですが、キッチンにはエプロンを着けて料理や後片付けをする女性陣、居間には食事をしたり、お茶を淹れたり、談笑したりするおじいちゃんやおばあちゃん、お手伝いをするスタッフたち、子どもや外国人までもいます。良い意味で「カオス」という表現がしっくりくるかもしれません。

玄関にはお出かけに行こうとするおじいちゃんも。皆、思い思いの時間を自由に過ごしているように見えました。とても自由な空間? 地方の祖父母宅に帰ったような、どこか懐かしく温かい感じがする――。いしいさん家を立ち上げた、有限会社オールフォアワン代表の石井英寿さんに、宅老所についていろいろと伺いました。

ボランティアからスタートした宅老所

宅老所なる施設(厳密に言うと宅老所の前身のような施設)が誕生したのは1991年頃。3人の看護師がボランティアとして立ち上がり、福岡にあるお寺「伝昭寺」の一部を使って、ひとりのおばあちゃんの生活を見ていました。そこは「よりあい」と呼ばれ、宅老所の走りだと言われています。

その後、宅老所は、症状が進みすぎていたり、若干粗暴な行動をとったりするなどを理由に、他の施設への入所を断られるような行き場のない人たちが、人間らしい最期を迎えられる場所として、地方を中心に広がりを見せるようになります。都市部と比べると地価が安く、住空間が広めで快適なことが理由のひとつで、現在は全国に1000施設ほど存在するのだそう。

2000年に介護保険制度が始まってからは、多くの宅老所が介護保険法に基づく指定を受け、介護保険の対象となるデイサービスのほか、介護保険適用外の自主事業(一時的な宿泊であるショートステイなど)を提供するようになりました。2006年の介護保険制度見直しによって登場した「小規模多機能型居宅介護」のモデルにもなっています。

「僕たちが“時間割”を決めるって変じゃない?と思ってた」

石井さんが妻の香子さんと共に宅老所を立ち上げたのは2006年、31歳のとき。大学卒業後に入所した介護老人保健施設で、介護福祉士としてのキャリアが8年目になる頃、近いうちに独立しようと決めたのでした。

「介護老人保健施設では食事や排泄、入浴など、1日の“時間割”が決まっています。80〜90年近く生きてきた人生の先輩たちの生活スタイルを僕たち若い職員が決めて、毎日その通りに過ごしてもらうことにジレンマを抱えていました。自分がおじいちゃんとして、この施設に入っていたら楽しくないなあ、と想像したこともあります。

時間に追われるばかりで、仕事を終わらせることに必死になるあまり、一人ひとりと向き合って、目の前の人を支えられていないな、という実感があったのも悔しかった。利用者の家族と共に生活を支え、老いと死を考えられるような宅老所を作りたいと思うようになりました」

老健での勤務形態を常勤からパートに切り替えてもらい、宅老所のパイオニア的存在である、千葉県松戸市の「ひぐらしのいえ」へ週1〜2回通い始めた石井さんは、それらの業務と並行して法人を設立します。最初の宅老所は千葉市花見川区柏井の民家で、利用者第1号は石井さんの母方の祖母でした。それから早14年。

<写真:駄菓子屋>
店頭に立つのは地域の方々。核家族時代に、宅老所いしいさん家のおじいちゃんやおばあちゃんと地域の子どもがふれあう貴重な仕掛け作りの一環だという。

利用者の家族と共に生活を支える醍醐味

いしいさん家には高齢者だけではなく、いろいろな人たちが集まっています。利用者の家族やスタッフの子ども、訪問看護師(※)が訪問する先の家族、病気や障害を抱えた人……普段交わらない人たちが接点を持っているのです。石井さんは「初めてここに来ると、誰がケアをする側、される側なのか、関係性が見えづらいかも(笑)」と笑います。
※いしいさん家では訪問看護事業もしているため、訪問看護師も常駐。詳細は後述。

「10年近くうつで、就労が上手くいかなかった人が、今はパートとして働いています。はじめのうちは『とりあえずいてくれたらいい』と伝えると、子どもと遊んでくれるようになり、自分から動いてくれるようになり、今は社員にならないかと打診中です。人には認め合える場所、許し合える場所が必要なんだなと実感しますね」

ケアする人、ケアされる人が同じ空間で、日常生活を送っている宅老所。利用者の家族を巻き込みながら一緒にケアできることも、宅老所の魅力のひとつだと石井さんは語ります。利用者の家族は送迎のタイミングはもちろん、有償ボランティアとして、いしいさん家に出入りすることもあるのです。

「たとえば、認知症初期の高齢者を見ている家族が、症状が進んだ別家庭の高齢者とふれあうと、『うちのおじいちゃん(おばあちゃん)もこの先、こうなっていくんだな』と、少し先の未来が見えることで安心感を得られるんです。利用者の家族同士での交流も生まれます。施設の中を知ってもらう、出入りしてもらうのには、そんなメリットもあるんです」

宅老所×訪問看護なら、“本当の最期”までケアできる

いしいさん家では2017年12月、訪問看護事業もスタートしました。きっかけは、病状が悪化してしまい、デイサービスに通えなくなった利用者が現れたことだったといいます。原則、デイサービスだけを提供する宅老所では、スタッフが自宅を訪問する手段は制度上ありません。

「宅老所×訪問看護の強みは、宅老所に来られなくなった人であっても、家族と一緒に最期まで見られること。宅老所でその人の生活を見ていて、一緒にごはんを食べたり、世間話をしたりしていた看護師が、今度はその人の家へ出向く訪問看護師になる。それこそ点ではなく、線で関われる看護なんじゃないかなと思います」

ある高齢男性ががんになり、いしいさん家に通えなくなった際、訪問看護に切り替えたことがありました。石井さんと訪問看護師が自宅に出向き、家族と共にサポートをするうちに男性は亡くなりましたが、家族は「いしいさん家で良かった」と感謝の意を示してくれたといいます。一丸となって介護に取り組んだ日々でした、と石井さんは懐かしそうな表情。

「宅老所は病院や他の施設とは真逆のものかもしれません。スケジューリングされた食事、排泄、入浴、その他アクティビティなどがあるのに対し、宅老所にはそういった決まりはなく、家で暮らすような生活を支えています。最高な療養上のお世話を経験できる場所だと思うんです。

さらに、宅老所に訪問看護が併設することで、うちのデイサービスへ通うことから、家で暮らすライフスタイルに切り替えた人の生活を支えることもできます。こんな看護があることも知ってくれる看護師さんが増えたらうれしいです。見学も大歓迎です」

2020年に新プロジェクト「52間の縁側」への挑戦を控えた石井さん。千葉県八千代市に新たな宅幼老所を作り、長い縁側をつけるのだとか。さまざまな人が集い、生活をする場から生まれる新しい看護のカタチ。またいつかお話を聞きにいきたいと思います。

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