「精神看護で大切なのは“普通の人”として接すること」みのり訪問看護ステーション・岡本史彦さん

「精神看護の魅力は、”こうあるべき”から解放されることなんです」

そう語るのは、訪問看護ステーションみのりで働く看護師の岡本史彦さん。訪問看護ステーションみのりは、大阪を中心に展開する精神看護専門の訪問看護ステーションで、岡本さんはそこで新人看護師の教育を担当しています。

今でこそ、精神看護の魅力を新人看護師たちに伝える立場にある岡本さんですが、高校卒業後すぐに看護師を志したわけではありませんでした。

岡本さんはなぜ、数ある看護の中でも精神看護に関心を持ったのか。

訪問看護の世界に足を踏み入れたきっかけは、どんなものだったのか。

お話をうかがっていくと、そこには常に魅力的な”人”の存在がありました。

「桜を見に行きましょう」精神看護の道に導いた恩師の一言

大学で精神看護を学び、大学卒業後も精神疾患のある患者さんと向き合ってきた岡本さん。しかし、その道を選んだきっかけは偶然に近いものでした。

「もともとは母親の勧めもあって、医学部を受験していました。ただ、結果的には合格ができなくて。医療系に行きたい気持ちはあったので、最終的には看護学科を受験して合格したんですが、入学してからも『いつやめようかな』と考える日々が続いていました」

そんな岡本さんの人生を変える出会いが訪れたのは、大学2年生のときでした。それは春学期最初の精神看護の講義でのこと。

「その恩師は講義の最初に『桜が見頃ですから、今日の講義では校庭の桜を見に行くことにしましょうか』と言ったんです。教室はザワつきましたし、僕自身もこの先生は何を言っているんだろうと戸惑ったのを覚えています。でも、その恩師が校庭で桜を見ながら『桜を見てきれいだなと思うのは、精神看護らしくて良いと思いません?』と言ったのを聞いたとき、心がすごく揺さぶられて……」

精神看護らしさとはなんだろう――。

その大きな問いは、その後も岡本さんの胸に長きにわたって響き続けました。大学4年時の卒業論文に関する専攻選択の際にも、迷わず精神看護学専攻を選択。それまでとは違う足取りで、学問に向き合う第一歩を踏み出したのです。

「精神看護とはなんなのか、自分なりの答えを出したくなった」臨床の現場が教えてくれたこと

大学卒業後、看護師として、大学病院の精神神経科で働き始めた岡本さん。しかし、実際の現場と学生時代に思い描いていた精神看護の現場の間には、大きな違いがありました。

「精神看護の現場と言えども、大学病院の精神科のように総合病院における精神科においては、身体のケアをする機会が多いんですよね。大学病院における精神科では、精神疾患とほかの身体的な病気を併発している患者さんのケアにも携わります。診療科間の稼働率のことや、精神障害者の方が高齢化していることで合併症看護の比重も高くなっているなどの理由で、合併症をもつ精神疾患がある方は精神科で受け持つことが多いんです」

実際に、岡本さん自身も精神疾患のある妊婦さんの看護をはじめ、精神以外の領域の看護について学びながら取り組んでいたといいます。そうした日々が続くうち、岡本さんの中に「精神看護ってなんだろう」という問いが浮かんできました。

また、病棟に入院している患者さんからのある言葉もまた、岡本さんの看護師人生の核になりました。

「ある患者さんに『私は精神病だから幸せになれないんでしょうか』と言われたんです。そのときに、どう答えたらいいかがすぐにはわかりませんでした。精神看護の領域に答えはありませんが、患者さんの言葉を響かせて自分なりの看護観を養っていきたいと思ったんです」

そうした言葉に背中を押されるようにして、岡本さんは4年間働いた病院を退職。臨床現場から一旦離れて、精神看護をしっかりと深めたいと思い、大学院へと導かれていったのでした。

「精神看護の魅力を伝えられる今の仕事が一番楽しい」訪問看護に出会うまで

精神看護ってなんだろう――。

その問いの答えを探るために、大学院で精神看護学を学ぶことを決めた岡本さん。大学院で学びながら、大学の教員として看護学生への講義や実習指導などを週5日担当する日々。決して楽ではないものの、充実した2年間を送った岡本さんの前には、研修者や教員としてキャリアを積み重ねていく道が広がっていました。

しかし、これからの自分のキャリアを、本当に大学教員として歩んでいくのが良いのだろうかと岡本さんは考えたといいます。

「もっと何か、自分がワクワクするようなおもしろいことはないだろうか」

そう考えたときに、岡本さんが思い出したのは事例検討会で出会った訪問看護師さんのことでした。

「大学在学中に参加していた事例検討会にいらっしゃった訪問看護師さんがとてもキラキラしていたことが強く印象に残っていて。そのときは楽しそうにお話される方だなという印象のほうが強かったのですが、もしかしたら訪問看護の世界っておもしろいんじゃないかとだんだんと興味を持ち始めました」

訪問看護への関心が強まる中、岡本さんは現在働いている訪問看護ステーションみのり(以下、みのり)の代表を務める進あすかさんに出会います。実は進さんもまた、数年前のその事例検討会に参加していたメンバーの一人でした。約6年ぶりの再会だったことがわかり、意気投合。導かれるようにして、みのりへの就職を決めました。

みのりに入社してすぐの面談で、岡本さんが進さんから投げかけられたのは「岡本さんは看護だけをやっていたい人ですか?」という問いかけ。この言葉の背景には、「いろいろな強みや弱みをもった人たちが、それぞれの状況でいきいきと主体的に働くことができる仕組みをつくりたい」と考える、みのりのビジョンがあらわれています。

実際に、みのりに入社してからの岡本さんのキャリアも、岡本さんの特性を活かしたものでした。

みのりに入社して1~2年目は訪問看護師として、3店舗をまたがって勤務し、曜日ごとに3店舗をローテーションで回って訪問していました。入社してすぐに広範囲にわたる多くの患者さんと向き合うことは楽ではなかったといいますが、岡本さんは「たくさんの人に視野を広げてほしいという気持ちのあらわれだったのかも」と懐かしむように当時を振り返ります。

入社して3年目からは、みのりの新人教育担当に抜擢。現在では新人教育を統括するポジションに立つ傍ら、外部機関との共同研究を行うチームメンバーとしてプロジェクトに参加したり、書籍の執筆を行ったりと、「看護師」という枠組みを超えたさまざまな活動を通じて、精神看護に向き合っています。

「看護師のキャリアの中で、今が一番楽しいですよ。自分自身がすごくおもしろいと思っている精神看護の魅力を伝えられる仕事ができているわけですから。今思えば、看護学生に向けた講義を担当しているときも、患者さんのケアについて話すのが一番楽しかったんです。そうした僕の興味関心を見出してくれての配属だったのかなとも思います」

「患者さんの前では“普通の人”であることを意識している」働くうえで大切にしていること

「看護師のキャリアの中で、今が一番楽しい」と話してくれた岡本さん。

そんな岡本さんが働くうえで大切にしていることは「普通の人」であること。安全を最優先しなければいけない仕事の特性上、患者さんに対して「医療者然」として接してしまいがちな看護師たちに対し、一般感覚を大切にすることを教えているのだといいます。

「新人の看護師の方はとくに真面目で、一生懸命なんです。だからこそ、患者さんをどう看護していくかをあらかじめ決めた看護計画を意識しすぎてしまい、最終的に患者さんに拒否されてしまった方もいました。

僕自身も入社してすぐは『べき志向』が強くなってしまいがちだったのですが、患者さんも人間ですから『医療者』の立場から何かを強制されたら嫌ですよね。だから、僕は患者さんに会う直前までは医療者としてどうアプローチするべきかについて考えていますが、インターフォンを押す瞬間から、できるだけ親しみやすい『普通の人』として振舞うことを意識しているんです」

また、こうした「べき志向」の解放は、精神科訪問看護の仕事の魅力でもあるといいます。

「精神訪問看護の魅力は、患者さんとの関わりを通じて『生活とは、精神疾患との付き合い方とは、こうでなくてはいけない』という思い込みから解放されることだと思っています。たとえば、僕が出会った重度の統合失調症のご利用者さんは、『自分は病気ではない』という意識をお持ちで、薬を飲まないし、見えない敵に狙われているという恐怖から、家じゅうのコンセントを切ってしまうこともありました。

それでも、もう何年も入院に至らずに生活は成立しているんですよね。そうした事実に、僕たちのほうが生きる力をもらっています」

家に帰りたい人が帰れるような制度づくりがしたい。

重度の精神疾患の方でも、家での生活が成り立っている。

こうした事実を目の当たりにしているからこそ、ご利用者さんの意思に反して病棟に送り返すことはできるだけしたくない。岡本さんは、そう力を込めて話します。

「精神病棟では持ち込みが禁止されているものも多く、不自由なことから、一度入院すると二度と入院したくないと話す患者さんも少なくないんです。そんな中、患者さんを家に帰すかどうかを、本人不在の場で医師とPSW(精神保健福祉士)が決めてしまうケースを、病棟勤務時に見てきました。現状では『仕方ない』ことかもしれませんが、やっぱり悔しい。それを何とかしたいと思っています。そのためにはまず、地域支援の一端を担っている精神科訪問看護の質を地域全体で高めていくことだと考えています。なので、日々の全ての仕事をその目的につなげて考え、取り組んでいます」

そう語る岡本さんに今後やりたいことを聞いてみると、こんな答えが返ってきました。

「大きいことを言わせてもらうと、制度を変えるような取り組みに携わりたいですね。現状だと、家族が引き受けられない場合に本人の意思に反して入院が決まってしまうなど、現場レベルではどうしようもないこともあります。でも、制度が変われば、地域で引き受けられることをはじめとしてできることが増える。遠い目標かもしれませんが、今の仕事と並行しながら、少しずつ取り組んでいきたいです。また、そういったことは1人では成し得ませんので、同じ理想を追い求めて力を合わせられる仲間作りもしていけたらと思っています」

岡本さんが、数ある看護の中でも精神看護に関心を持ったこと。訪問看護の世界に足を踏み入れたこと。そして、今の仕事が一番楽しいと思えていること。

それらすべての傍らには、魅力的な“人”の存在がありました。

精神看護の魅力について「“こうあるべき”から解放されること」だと語ってくれた岡本さん。そう思える背景には、人を愛してやまない岡本さんのパーソナリティーが色濃く浮かび上がっている気がしました。

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