自立とは助け合いながら生きること。31歳でPLSを発症した落水さんが「死にたかった」日々から抜け出すまで

「PLS」(原発性側索硬化症)という病名を聞いたことがありますか?

100万人に一人の確率で発症すると言われ、全身に命令を伝える神経が少しずつ壊れることで体が動きにくくなり、症状が進行するといずれは寝たきりになる病気です。

化粧品の営業として忙しく働いていた落水洋介さんは、今から9年前、31歳のときに突然PLSと診断されました。現在は車いすで生活を送りながら、病気のことや日々の生活のこと、自身の仕事についてYouTubeで発信したり、全国各地で「難病でも楽しく生きられる」ことを伝える講演活動などを続けています。

病気が発覚したときの絶望から自分を救ったのは、「自立とは相互依存度が高いこと」という言葉。「死にたい」とふさぎこんでいた頃から「今が一番幸せ」と言えるようになるまでの変化を語っていただきました。

◆落水洋介さん 1982年生まれ。31歳で難病に指定されている原発性側索硬化症(PLS)を発症。車いすでの生活を送りながら、YouTubeやブログでの情報発信、全国各地での講演活動など幅広く活動している。

「車が僕に飛び込んできてくれないかな」と願っていた

落水さんが初めて体に異変を感じたのは、31歳のとき。体力的にも精神的にもハードだった職場を離れ、心機一転、新しい仕事を始めたばかりの頃でした。

「最初は『なんか歩きにくいな』から始まりました。変だなとは思っていたんですけど、自分が病気になるなんて一切思ってなかったから、症状が徐々に悪化しても「気のせいだろう」と騙し騙し生活を送っていたんです。でも半年くらい経ったある日、妻から『やっぱり歩き方がおかしいから病院に行ったほうがいいよ』と言われて。それをきっかけに病院に行きました」

最初は病名がわからず、何度も検査を受けることに。その間も症状はどんどん進行していき、歩くことも難しくなってきた頃、ついにある病院で「PLS」の診断を受けます。だんだん動けなくなり、話せなくなり、いずれは寝たきりになる。突然そんな未来を突きつけられた落水さんを襲ったのは、言葉では言い表せないほどの深い絶望感でした。

「“ショック”どころじゃない、絶望ですよ。もうあと数年で動くこともしゃべることもできなくなるんだ……って。病気が発覚してすぐの頃は、死にたいとしか思えなくて、でも死ぬ勇気もないから『車が僕に飛び込んできてくれないかな』と考えるばかり。検索履歴は『難病 安楽死』『難病 自殺』といったキーワードで埋まっていました」

前を向くきっかけになった「自立とは相互依存度が高いこと」という言葉

仕事もできなくなり、しばらく誰にも会わず家にこもっていた落水さん。消えてなくなりたい。でも妻も子どももいるし、なんとか生きていくしかない。ひとり悩み苦しみ、何をすればいいのかわからないまま「とにかく家族を支えるために何かしないと」という焦燥感に苛まれたといいます。

そんなある日、落水さんは双子の片割れである兄の誘いでなかば無理やりプログラミングスクールに参加することになります。

「プログラミングなら体が動かなくてもできるかも……と淡い期待を抱いて行ってみたんですが、話を聞いても全然意味がわからない。『素人には無理だ』と途中で帰ろうとしたとき、主催者だったとあるITスタートアップの社長に引き止められたんです」

それは、その後の人生を大きく変えるきっかけとなる出会いでした。

「『どうしたんですか?』と声をかけてくれて。事情を話すと、その1週間後には家を訪ねてくれて、障がい者の仕事についてのフォーラムにも連れていってくれて。そういった付き合いの中で、家族にも友人にも打ち明けられなかった闇の部分を、僕は初めてその人に全部話すことができたんです」

その人に連れていってもらったフォーラムで落水さんは、「自立とは相互依存度が高いこと」という言葉と出会います。

「それまでの僕は『一人でなんでもできなきゃいけない』と思っていたから苦しかった。でも、フォーラムからの帰りの車でその方は『支え合える仲間がいればそれは“自立”なんだよ。落水くんはできないことがどんどん増えるかもしれないけど、できないことはできる人にやってもらって支え合えばなんでもできるんだよ。ITやテクノロジーの力で僕が助けられることもきっとあるよ』と。それを聞いて、気持ちがぱーっと楽になったような気がしたんです」

それから少しずつ、落水さんの気持ちは上を向いていきました。スマホでの検索ワードは「難病 仕事」「寝たきり 幸せ」といったものに変わり、最悪な未来を想像して落ち込んでいた気持ちが、徐々に「どうすれば寝たきりでも明るい未来を作れるのか」という方向に向かっていったのです。

難病でも寝たきりでも楽しく生きている人はたくさんいる

寝たきりでも楽しく生きていくためにどうすればいいのか。そう考え、情報を集め始めた落水さんが始めたのが、ブログを書くことです。

「『どう接していいかわからない』と思われたくなかったので、ブログではふざけて明るく振る舞うようにしていましたけど、裏ではかなり無理していましたよ。『(笑)』なんて書いても実際はまだ絶望の中にいて、とても笑える状況じゃない。でも、病気を公表するからにはそのキャラでやっていくしかない、という覚悟のようなものがありました」

「最初はブログなんて絶対嫌だった」という落水さんに発信を後押しさせたのは、欲しかった電動車いすの購入を役所や病院に相談したところ、たらい回しにされた挙句に「前例がないから無理です」と断られた苦い経験。

「福祉の情報って縦割りなんです。病院、役所、企業の管轄がばらばらで、こっちは藁にもすがる思いなのに、欲しい情報がまとまって手に入りづらく、何度も絶望を味わうことになる。車いすの件をきっかけに、『前例がないなら自分で作ってやろう』と発信に力を入れるようになりました」

落水さんのブログは、予想以上の反響を呼びました。しばらく会っていなかった小学校や中学校の同級生から連絡が来るようになり、どうすれば電動車いすが手に入るのかのアドバイスも集まるようになりました。

「嬉しかったですね。ひとりじゃない、仲間がいるんだ。自分みたいな人間にもできることがあるんだって思えました。『俺って生きてていいんじゃん』って」

ブログを書き続けることで応援してくれる人は徐々に増え、「こういうことがしたい」「これは理不尽だしおかしいと思う」といった発信を支持する人も増えていきます。

「そうやって応援してくれたり情報を寄せてくれる人たちのおかげで電動車いすが手に入り、テレビに出たり人前で自分の経験を話す場を得られたり……いろんな人からチャンスをいただいてちょっとずつステップアップしてこられたんです」

 

自分から発信すると同時に、落水さんは意識してポジティブな情報を取りにいくようにもなりました。同じような難病を抱えた人のSNSや本、映画。前向きな情報を集め、前向きな人に会いにいくことで、落水さんの周りには楽しく生きている人が集まるようになっていきます。

「ALS(筋萎縮性側索硬化症)でも自分で介護事業を立ち上げて、いろんなテクノロジーを駆使して充実した人生を送っている方。車いすや難病の情報を明るく発信するYouTuber。病気を抱えながらも全国を回って活動している人……そうやって楽しく生きている人って、探してみると本当にたくさんいるんだなとわかったんです」

自分の経験を「運が良かった」で終わらせないために

「仕事が好きなキラキラした大人たちが小中高校生と話をする『夢授業』というイベントに呼んでもらったり、そこで出会ったお節介な人たちにいろんな場所へ連れ出してもらったり。この前は『水道管が破裂した!』とブログに書いたら、何十年ぶりかに小学校の同級生が連絡をくれて、中学生の同級生が水道工事をしに来てくれました。家の石垣が壊れたとき、活動を応援してくれている人が修理代を寄付してくれたり。こんなことばっかりです。助けてもらうのは日常で、そういうできごとの連続で僕の人生は成り立っています」

まさに「自立とは相互依存度が高いこと」という言葉を体現するかのように、現在は周囲の人と支え合いながら日々を送っている落水さん。ただ、誰もが同じように自分の考えを発信したり、多くの人とつながる手立てを持っているわけではありません。

「僕の状況を『オッチーは運がいい』で終わらせちゃいけないと思っていて。誰もが支え合える環境を作れるような場がなければいけないですよね」

今でこそブログやYouTubeでポジティブな情報を発信している落水さんですが、そこに至るまでは葛藤もありました。だからこそ、自分のつらさを表に出せない人の気持ちがよくわかるといいます。

「『車いすでも楽しく生きてる人なんて、どうせ高学歴で元々仕事ができるエリートなんだろうな』って卑屈になったり、ブログも『自分の文章を読まれるのは恥ずかしい』と書いては消して……を繰り返したり。僕もそうだったし、そうやって自分の感情を表に出せなかったり、『助けて』と言えない人のほうが多数派だと思います。だから、その人たちに何を届けられるかなというのはすごく考えますね」

医療・福祉の駆け込み寺をつくること。それが今の落水さんの目標です。医療、看護、介護、行政、企業……各業界のキーパーソンとつながることで福祉にまつわる情報を一本化し、包括的な情報提供ができる場所をつくりたい。寝たきりでも働き続けたいと願う人に、しかるべき情報を提供したい。それは、かつて欲しい情報がなかなか手に入らず苦しい思いをした自身の経験から芽生えた思いです。

「もっと発信力を上げなければいけないという課題はありますが、あの頃の自分のような人、同じように悩んでいる人を救える場所をつくりたい。今はずっとそれを目標に動いていますね」

あの頃の自分を励ましてくれた人のようになりたい

「目標の達成率としては、まだ30〜40%というところでしょうか」と自己評価はひかえめながら、「医療・福祉の駆け込み寺」として落水さんが担う役割は、すでに多くの人に良い影響を与えています。

「難病やうつ病で苦しむ方がよく会いに来てくれるので、そういった方に人や仕事を紹介したりすることもあります。これまで培った人とのつながりを活かせているなとも思いますし、ちゃんとパッケージにするにはまだまだだなとも感じています」

確かな手応えを感じる一方で、助けを必要としている人が可視化されづらいという課題もあります。「人に頼るのは恥ずかしい」という価値観で生きてきた人にとっては、他人に助けを求めるのはハードルが高いものだからです。

「助けを求めないと助けてもらうことはできないから、もっとみんなが『助けて』と言いやすい社会がいいですよね。僕はそれを体現したいから、自分から『助けて』と発信するようにしています。でも言ってるばっかりじゃだめだから、僕はこの体を使って『オッチーが頑張ってるから俺もがんばろう』と勇気づけることで人を支えたいと思っています」

たくさんの人に支えられながら、自身もまた周りの人を助けている落水さん。難病でも仕事を続け、「今が一番幸せ」と語る姿は、多くの人に勇気を与えています。

「死にたい」とふさぎこんでいた頃からは考えられない未来へたどり着いた今、かつての自分に何か言葉をかけるとしたら? その質問に、落水さんは少し考えてからこう話します。

「『なんとかなるし、なんとかしかならない』……ですかね。年金も生活保護もあるこの国は恵まれているなと思いますし、助けを求めれば助けてくれる人は絶対にいる。自分から見ようと思えば、いくらでも明るい未来は見ることができる。それしか言えないですね」

そして「苦しんだ時期が長かったからこそ、同じ境遇の人に『前を向きなよ』とは簡単に言えないですよね」と付け加えます。ただ、自身が「寝たきり=人生おしまい」「病気=不幸、最悪」という思い込みから脱却し、寝たきりでも幸せに生きている人がたくさんいると知ったことで立ち直れたからこそ。「僕自身が、あの時の自分を励ましてくれた人たちのような存在になりたいんです」と落水さんは語ります。

望む情報に簡単にアクセスできる社会だからこそ、「明るい未来を見たい」という意志が芽生えた瞬間、それが自分が欲しい未来への第一歩になるのかもしれません。

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