「利用者さんの“ホーム”で、皆さんが求めるお手伝いをできるのが喜び」LIC言語聴覚士の福澤順子さん

女性も多く活躍する訪問看護ステーション。勤務スタイルがかっちり決まっている病院と比べ、ワーク・ライフ・バランスを実現しやすいステーションがある一方、24時間体制でオンコール(緊急時の呼び出し)への待機、1日の訪問ノルマが課せられているなど、ハードな働き方をしなければならないところもあります。

そのため、離職率も低くはないのが現状。神奈川県が県内の訪問看護ステーション588事業所に対し、2017年8月に行った「看護職員就業実態調査」によると、訪問看護ステーションで働く看護職員の離職率は全体で16.4%、常勤のみだと15.0%、非常勤だと18.0%にのぼることがわかりました。

入所した職員には長く働いてもらいたい――そんな思いで、訪問看護師一人ひとりの生き方やライフステージに寄り添い、働きやすい環境づくりをしているのが、府中市を拠点とする「LIC訪問看護リハビリステーション(以下、LIC)」。今回、働き方やキャリアに関してお話を伺った言語聴覚士の福澤順子さんもLICで働くメンバーのひとりです。

二児の母であり、現在は週3日非常勤で働く福澤さんは、LIC創業2年目となる2016年から仲間入り。残り週2日は自宅近くの医療機関に勤めています。なぜ、働く場所を2カ所に分散しているのか気になるところ。

左が言語聴覚士の福澤順子さん
右は代表の糟谷明範さん

保活目的の週5フルタイムは卒業。働き方を見直す

「子どもを認可保育園に入れるには、ある程度長時間勤務しなくてはいけないんです。LICで週5日の時短勤務だと、入園の基準を満たす“点数”を稼げない可能性が高かったんですね。ただ、LICに入るまで訪問リハビリの経験がなかったこと、育休・産休でブランクがあったことから、いきなり週5フルタイム勤務をするのには不安がありました。

そこで週3勤務にしてもらい、週2は別の職場で書類仕事を中心にして、一定の勤務時間をどうにかして確保しようとしたんです。今(2018年10月時点)LICには9〜17時で勤めていますが、年明けからはLIC1本で8:30〜16:00の時短で働く希望を出しています」

そばにいた所長の黒沢勝彦さんに「(希望、出しましたよねっ!)」と笑顔で視線を送る福澤さん。黒沢さんも「(は、はい!)」と目で合図。職場の風通しの良さ、温かさが伝わるようなコミカルなやりとりがありました。

そうして2年間、ふたつの職場でフルタイム勤務を続け、子どもを認可保育園に入れることができた福澤さん。働き方を見直せる時期がやってきました。勤務時間をもう少し減らすことで、家族とコミュニケーションする時間を増やしたいといいます。訪問看護ステーションでの仕事も徐々に慣れてきて、楽しみながら向き合えるようになったそう。

LIC訪問看護リハビリステーションは昨年4周年を迎えました

利用者さんが心を開いてくれる瞬間に感動

「訪問で外出する時間も好きです。ひとりでステーションを飛び出すのは一見孤独なようで、またステーションに戻ってきて、スタッフみんなの顔を見てホッとして、ワイワイ情報交換するメリハリが心地良いんです。みんながワーッと散っていって、また戻ってくるステーションが拠り所になっていますし、何かあると相談できる場でもあります。

訪問中も楽しいですよ。どうでもいいことでワハハと笑ったり、ほとんど喋らなかった人が喋ってくれたり、歌を歌ってくれたりするような“奇跡”が起きると、『心を許してくれた……!』と、思わずウルッとくるんですよね(笑)」

そんな福澤さんのキャリアは、訪問看護師としては少し珍しいものかもしれません。大学卒業後、日本語教師として働き始めたものの、雇用先が少なかったこともあり、海外青年協力隊としてマレーシアへ渡ります。そこで福祉関係者と出会ったのを機に、帰国後は医療系専門学校進学を目指します。

「また言語に関する仕事をしたいなと思ったんです。そのタイミングで、言語聴覚士(※)が国家資格になったのを知って、言語×医療で自分のやりたいことがクロスしているから、資格取得を目指して勉強しようと決めました」

※言葉でのコミュニケーションに問題がある方に専門的サービスを提供し、自分らしい生活を構築できるよう支援する専門職。摂食・嚥下の問題にも専門的に対応する。

日本語教師から転身。26歳で専門学校へ

25歳で帰国。一度の浪人を経て、学校へ2年間通いました。「理系科目が苦手だったので、入学後も落ちこぼれでした」と苦笑する福澤さんですが、卒業前の2月に行われた国家試験は無事合格。寝たきりの高齢者を中心に受け入れる療養型の病院から内定をもらいます。

「新卒は総合病院や急性疾患・重症患者の治療を24時間体制で行なう“急性期”、急性期で治療を受けて病状が安定し始めた、発症1~2カ月後の状態にリハビリを集中的に行う“回復期”の病院に勤めることが多いです。

私が回復期後のリハビリ終了後に、安定した日常生活を支援する“維持期”の病院を選んだのは、浪人時に認知症患者の方が入る病棟でアルバイトをしていたのが関係しています。最期のときまで穏やかに過ごしてもらえる病院で、患者さんのサポートをしたかったんですよね」

福澤さんはそこで「何もできない」と悩む時期が続いたと振り返ります。学校で学んだことを理解していても、現場でどう活かすかがわからず、試行錯誤していました。「学びを実践できるようになってきたな、と自信を持てるようになったのは最近です」

私たちにはホーム、でも患者さんにはアウェーな病院

2年半ほど勤続した後、系列の介護老人保健施設へ異動します。自宅と施設を行き来する患者が多く、彼らに対しレクリエーションをするようにもなりました。「言語」という自分の職種にとらわれず、より広範囲に渡る仕事をするようになっていたのです。

そこで3年半勤めた後、家庭の事情で仕事を辞め、ブランクの時期が3年半になろうとしていた頃、福澤さんは復職を決め、新たな施設に勤め始めます。ちょうど第一子が6カ月になった頃でした。

「初出勤の翌週くらいに子どもが熱を出して仕事を休むことに。回復したと思ったら今度は別の病気にかかって入院してしまい、雇ってもらったのに迷惑をかけていて、申し訳ないな……と進退を考えていました。でも、施設の厚意で『週1日でいいから働いて』と言っていただいて、徐々に勤務日数を増やして週3日働いていました」

ここまでがLICに入所するまでの福澤さんの物語。こうして複数の病院や病院特化施設で働くなかで、「自分たち医療従事者にとっては“ホーム”だけれど、患者・利用者にとっては“アウェー”であることに疑問を感じるようになっていた」と福澤さん。確かに病院や施設では、患者・利用者が“そこのやり方”に合わせるケースが大半です。

今日はどんなお手伝いをしようか、考える瞬間が好き

「今LICで利用者さんのご自宅を訪問していると、ホームとアウェーが入れ替わるなと感じています。病院や施設という“容れ物”のなかにいると、そこのルールで、そこでできることしかしてはいけない気がするんです。

一方、訪問看護では、利用者さんの日常生活に溶け込んでいくなかで、利用者さんが本当に求めることを、私自身ものびのびとできている気がします。自分が提供したかったサービスはこれなんだな、と。

利用者さんの生活に寄り添いながら、くっつきすぎず、離れすぎず、ちょうど良い距離感を構築できる。その上で、信頼関係ができるとプライベートな話もし合えるようになるのも、心地よい状態だなと思います」

今後の目標を尋ねると、福澤さんは「些細なことですが……」と前置きし、こんなことを答えてくれました。「利用者さんの玄関前でチャイムを鳴らす前、『今日はここで何をしようか』と考える時間が一瞬あります。その人に今日できることを考える――これをずっと大事にしていきたい」と。明日訪問する相手のことを想うような表情が印象的でした。

インタビューにご対応頂きありがとうございました

<参考データ>

神奈川県の調査

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/1201909_4327793_misc.pdf

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