「在宅で、訪問看護師さんをはじめとする大勢の方と“チーム”みたいになって、みんなで娘を育てるようになってから、とても前向きになれたし、障がいを持つ娘と生きる人生が愛おしくなりました」
金澤裕香さんは4歳になる娘・菜生(なお)ちゃんのお母さん。病名は未だわからないものの、障がいを持つなおちゃんとパパと家族で暮らしています。
「長いこと入退院を繰り返しましたが、2017年3月、地域に戻ってきました。家族でカバーしきれない部分は、訪問看護師や医師などの医療関係者を中心に、いろいろな方たちに支えてもらって、楽しく過ごせています」
支えてもらう=弱いってこと?
自分たちが誰かに支えられて生きることを、「立場が弱い人みたい」「家族のことは家族で解決すべきなのに」とネガティブにとらえていた金澤さん。以前はサポートしてもらうことに葛藤を抱えていました。
「なおを可愛いと思えない時期が長くありました。病名もないし、先も見えないし、この子のせいで私は仕事を辞めたんだ……って」
金澤さんの気持ちをポジティブなものに変えていった、訪問看護のある暮らしとはどのようなものなのでしょうか――。なおちゃん退院後の在宅での生活を中心に、お話を伺いました。
体重が1gも増えてない
なおちゃんに異変が見つかったのは生後3カ月のとき。区のイベントで、生後1カ月検診の体重から1gも増えていないことがわかったのです。
金澤さんにとって、なおちゃんは第一子。初の子育てに奮闘するなか、たしかにミルクを飲ませるのには苦労しました。1時間半で5ccしか飲んでくれないこともざら。
「ちゃんと栄養を摂らせなくてはと、がんばってミルクを飲ませていましたが、飲んでくれなくて……。精神的に追い詰められて、気分を変えたいと思って行ったイベントで、これはおかしい、と指摘されたんです」
すぐに病院での入院生活が始まります。2週間の検査入院の予定が、3カ月、4カ月……とのびていきました。先が見えない日々は7カ月続くことに。
沈んだ気持ちを切り替えて
なおちゃんが1歳の誕生日を迎える前、大学病院へ転院することになりました。病名がわかるかもしれない、という希望が見えたからです。
「とはいえ転院当初は、なおには病名がないから、わかってくれる人なんていない……と落ち込んで、心を閉ざしていました。気持ちも沈んでいました。
でも、面会時間が限られていて、平日パパは来られないし、なおは言葉を発せないし、となると、私を除くと看護師さんくらいしか、なおを可愛がってくれる人はいないんですよね。
だから気持ちを切り替えて、看護師さんに明るく接することにしました。娘のこと以外も積極的に話すようにしたんです」
家族3人での暮らしへ
金澤さんが心を開くと、看護師もより温かなコミュニケーションをしてくれるようになりました。
たとえば、勤務後になおちゃんの病室に立ち寄って声をかけてくれたり、誕生日には寄せ書きをプレゼントしてくれたり、ささやかな変化に気づいて伝えてくれたり――まさに一緒に子育てをしてもらった感覚があった、といいます。
そんななか、病状が良くなって退院するものの、状態が変わり再入院……と、なおちゃんは入退院を繰り返します。ただ、家族揃って暮らせるときが、確実に近づいていました。
「それでも、家でなおを育てる、というのが不安な時期は長かったです。看護師さんがついて医療的ケアをしてくれる病院とは環境がまったく違いますから。
ただ、在宅に移行する準備として、病院で訪問看護師さんと面談できたのは大きかったですね。退院後の生活全般や医療機器の配置なども、親身になって相談にのっていただいて、前向きな気持ちが徐々に大きくなっていました」
“管理表”がストレスに
なおちゃんと自宅に戻って1〜2カ月。生活には慣れてきたものの、金澤さんはストレスをためるようになっていました。
「来てくださる訪問スタッフの方が、娘のことを心配して体調管理表を作ってくれたんです。その日の体温や心拍数、呼吸数、おむつを替えた回数、吸引した回数など、いろいろな項目を埋めないといけなくて。
リラックスできるはずの家にいるのに、見張られているような、チェックしに来られているような感覚がありました」
「なおちゃんと家族を支えるチーム全員」と情報を共有するのが良かれと思って、表を作ってくれた相手の気持ちは、金澤さんも理解していました。実際、なおちゃんと家族をサポートする人々は大勢いるからです。
なおちゃんを支える社会資源の一例
・訪問看護
週5回、1回につき90分。訪問看護師が入浴や歯磨き、浣腸、吸入、皮膚の手入れなどの医療行為、生活全般のケアを行う。
・訪問リハビリステーション
週1回。看護師や理学療法士など、主治医の指示を受けた専門家が、関節が硬くならないよう、呼吸が弱くならないようなリハビリを行う。
・訪問診療
2週に1回。医師が診察、薬の処方などを行う。
・デイケア
週2回、10〜15時。バスで通所し、障がいがある同世代のお友達と過ごす。
・区役所、保健所などの公的機関
職員が行政の手続きを中心としたサポートを行う。
家族だけじゃなく、「チーム」で子育てする
「私の性格的に、すべてを計測して記録するのが苦痛でした。だんだん空欄が多くなり、『お母さん、付けてないですね』と指摘され、『実は書くのが大変だと感じてて』と本音を伝えると、翌月から“方法”が変わったんです」
数字を中心とした体調管理表は、1冊の「連絡ノート」になり、その日来た人がなおちゃんの状況やケア内容を文章で綴るようになりました。
「もしこれが病院だったら、『なんで書かないんですか?』と怒られます(笑)。でも、在宅だと、『このやり方が嫌なら、お母さんにとって心地よいやり方に変えましょう』と調整してサポートしてくれる。
病院ではなく、家での暮らしだから、そこで暮らす家族にとって一番いいやり方を尊重してくれる。そのことに気づいてからは、我が家に来てくれるのを楽しみに思うようになりました。
それまでは家の中でも医療関係者と患者だったのが、やり方が変わったタイミングで、ひとつのチームみたいな関係性になれた気がしましたね」
支えられているから、誰かを支えたい
さまざまなサポートが入ることで、心身に余裕が生まれた金澤さんは、2017年7月に一般社団法人日本障がい疾患家族支援協会を立ち上げます。9月には病気・障がい当事者と家族のためのオンラインコミュニティ「CARE LAND」(https://careland.org)を提供開始しました。
「ここまで、本当にたくさんの方たちが、なおや私たち家族を支えてくれてきました。支えてくれる方々のおかげで今があるし、私も自分の活動ができて、パパも変わらず働けています。
家からあまり出られないという制約はありますが、私にできる範囲で、困っている誰かを支える活動をしたい。自分たちが支えてもらっている恩返しができたら、と思っています」
訪問看護のある暮らし
これからも家族3人と、一家を支える人たちと、みんなで、社会でなおちゃんを育てながら生きていく金澤さん。
「入院生活が長かったぶん、地域で、家族で暮らせている実感があって、今は本当に幸せです。なおの病気のことで不安は大きかったですが、支えられて生きるっていいなと感じています」
訪問看護を中心とした社会資源を活用することで、住み慣れた場所で、家族3人で生活できる――。金澤さん一家の歩んできた道のりは、病気や障がいを持つ人が、その人らしく生活を送るヒントになることでしょう。